2週間にわたるエステティック・ライフ – オートマチック展は先日19日をもって終了いたしました。お忙しい中ご高覧いただきありがとうございました。また展覧会のサイトやブログを見てくださった多くの方々に心より御礼申し上げます。私はこの展覧会で主に広報を担当していましたので、宣伝的な投稿が続きましたがどうかご容赦ください。今は展示も無事終わりましたので私個人として展覧会を振り返ってみようと思います。
そもそも「エステティック・ライフ」も「オートマチック」も、平田星司氏が持ってきた概念なので、中根/平田の二人の企画展とはいえ今回の主役は実際には平田氏なのです。5年前のこと、平田氏の師であるアミカン・トーレン氏が企画した『The pleasure of aesthetic life』展(1996年)について熱く熱く語る平田氏の顔をぼんやりと眺めながら、ひとつの「展覧会」がこんなにもひとりの人間を揺り動かし、その魅力を他の人に必死に伝えたいという情熱が発生するという事実に興味を持ちました。私自身はその展覧会を見たわけではないし、実際には「情報」として考えればはあまりよく理解出来なかったにもかかわらず、「こんな展覧会をやりたいね」という気持ちは、強く強く伝わってきたのです。面白いことに今回の展覧会にテキストを寄せてくださった鎮西芳美さんも同じようなことを書いていました。
私自身(ここ1年以上さぼっていますが)『展覧会めぐり日記』というブログを書いていて、「展覧会」というシステムに興味を持ち、作品の面白さや企画者の意図を自分なりに読み解いてみることに喜びを感じてはいましたが、これほどまでに人の気持ちを動かす、そしてかれこれ20年も「この展覧会は素晴らしかった」と語り続けられるような展覧会があったかと言われると…。平田氏が「自分が見たい展覧会を作りたい」といった時、なんとかして「それ」を実現してみたいと私も思ったわけです。私と平田は長い付き合いの中でそれぞれの「得手不得手」をなんとなく認識していて、役割の分担に関しては意外にスムーズでした。私の方が平田氏よりコンピュータの前に長く座っていることが得意であるという暗黙の了解の上で、広報的なこと(ホームページやブログの管理、チラシやDM、ブックレットの制作)や各作家との連絡係りなどを引き受けましたし、平田氏の方は棚や 台を作ったり、そして主には『ROME automatic』の翻訳という展覧会の主軸となる大きな役割を担ったということです。
「中根はキュレーターのようなことをやりたいのか?」と何人かの方に聞かれましたが、私はただ平田氏の頭の中にある『エステティック・ライフ – オートマチック』という概念を、展覧会の形に落とし込むための役割を引き受けただけであり、そうでなければこんなに負荷のかかる仕事はできないと思うのです。私たちの目論見を展覧会としてを実現するために「美術館の展覧会」というフォーマットを参照して、広報活動や関連イベントを組んだりしたわけですが、この小さな展示をあるまとまった形にするだけでもゾッとするような仕事量であるのに、実際に今回トークに来てくださった李美那さんや鎮西さんのように学芸員として大きな展覧会を動かすことを思うと…。自分には絶対に無理です。むしろ作品を作ることに集中したいと思うのが本音です。
ちなみに李さんは開催中の展覧会でのご自分のトークがあった直後に私たちのイベントに駆けつけてくださり、鎮西さんは自分の展示や集荷・返却の作業で忙しい中テキストを書いて、なおかつ他の企画展のオープニングで多忙を極める中トークセッションにも駆けつけてくださいました。自分にはちょっと真似できないようなプロフェッショナルなお二人には本当に感謝しているし、畏敬の念をいだいている次第です。また、今回の展覧会の中では仕事量的に不可能だと諦めていた音楽のイベントを、敬愛する宅シューミー朱美さんから「お友達企画」として近くのライブハウスを開催していただけるという申し出を受けました。このようにして『エステティック・ライフ – オートマチック』展がひとつの展覧会として重層的になったことをここに記しておきたいと思います。
展覧会にいらしてくださった方は、平田氏が直々に『エステティック・ライフ – オートマチック』展ことや出品作家のこと、あるいは『ROME automatic』のことについて熱く語る姿を目撃された方も多いのではないでしょうか。そういう意味で私たちが目指した「自分が見たい展覧会」というテーマは実現できたのではと思っています。この展覧会の3回展、4回展をと言ってくださる方もいらっしゃるのですが、私としては「エステティック・ライフ」という大きな課題は今回で完結したかな、という気持ちです。おそらく平田氏も同じ考えだろうと思います。「オートマチック」という概念の通り私たちの展覧会が「情熱」として誰かに、あるいは他の空間に伝染していくかどうかはわかりませんが、またどこかでこのような形の展覧会が開催されることを、他人事のようですが楽しみにしております。
過去は現在を決定する。その衝撃をよく考えてみるべきなのだ。これは単に形式的なことでなく、個人的な経験からなのだ。私が年をとり、過去の出来事から遠く隔たったのに、過去それ自身が迫ってくる(ノスタルジアとかそんなものではなく!)。すでに歴史の中に葬られてしまったであろう私の若かった頃の出来事が、まるで今起ったかのようなのだ。時間と歴史はもうリニアな経験ではすまない… ギャラリー内には7人のアーティスト(まだ生きていようと既に死んでいようと)がいる。今、彼らの作品は調和している – そんな準備がこの単色の空間にはできている… ここには全て静寂が与えられている。たぶんそれはあなたが選んだ作品のそれぞれが、内省的だからである – つまり単なる物語的な意味以上のことを考えてくれるよう促しているのだ。
Amikam Toren『The pleasure of aesthetic life』展カタログより
《白いカガミの中に 1、2》 2015年 420 x 298 mm 鏡、サンドブラスト加工、アルミニウム